この世の中の人と人とのすれ違いって、
自分が絶対に正しい、
いやいや私の方が絶対に正しい、
とかいうところからはじまるんじゃないかなぁ。
うちの父さん、仕事でお客さんと話しているとき、周りからすればかなりどうでもよい話しの内容なんだけど、
こっちはこっちでぜったいこうだと言い張り、お客さんも、いや、こうだといい、しまいにはお客さんに...
わたしもガンコだけどあんたも相当ガンコだね!
とそれ以上話してもラチがあかね〜みたいな雰囲気になって笑いだした...、
それで、まわりを、おいおいお客さんとそんな言い合いしちゃって大丈夫か?と冷や冷やさせた
というのが笑いばなしとして親族内で私の耳にまで語りつがれて、
わたしも相当、あきれたのだけど、
争いの根源は、なんかみんなこれなんじゃないかな。
わたしが保育園とちょっとトラブルになったときも、お互い1歩も譲歩しないという状況だったし、
そういうの、原理主義っていうんだってね。
ぜったい正しいがぶつかりあって大騒ぎ。
うちの夫は、すごい柔軟な人なんだけど、若いときにやっぱりぜったい正しいーー、で1回失敗したことあるってさー。
みんな、時々、やらかすよねー。
なんな、みんな自分中心で考えている人が増えてるしね、そう、わたしも自分中心。
自分中心にあれは右にあって、これは左にあってって物事をみている。
わたしは、その間を揺れ動いて、ひどく不安定な気持ちになる事があるけど、
そういうときは座標軸で物事を考える努力はするな。
太陽の位置を見て歩くようにするけど、まぁそこはでこぼこ道だったり、曲がりくねったり...(美空ひばりか!!)
ネットでつながった遠い人より、フェイストゥーフェイスでつながった人のほうをわたしは大事にしたいな。
だけど、自分を中心に考えて右、左と見ることが劣っているとかそういうことでもないよ。
これは右であれは左と伝えた方がわかりやすいこともあるし、迷子にもなりにくい。
でも、右にあるものは座標軸でいうとこの辺にあるということも同時に理解しておくほうが思慮深い行動がとれるんじゃないかな。
それに、どこにでも、いじめは起きうる
誰でも加害者にもなりうる、
いじめの定義。
100%安全なところなんてないよ、座標軸でみたらひとつの街であり村でしかないわけで、
みんなつながってるんだし、狼だってやってくるし。
だから、なんだと言われても、
わたしもどうしたらよいかわからなくて、
まぁ、わたしも父親の血をひいてるからちょっとガンコかもね♪
挨拶したのに、聞こえなかったから挨拶しなかったと言われたら、ぜったいに挨拶したって言い張るもんなぁ。
おやすみなさい♪