Audibleで今、無料で読めるので、、
石井 光太さんの『教育虐待』を読んで(聴いて)みました。
教育ネグレクトも教育虐待もNG、
結果よければ全てよし、10年後も20年後も問題がなければ問題なしなのか?
どこからどこまでなのか線引きが難しい。
秋葉原の事件は、処方薬の副作用の問題が指摘されていたと思ったけれど、
やはり、一周まわって、そもそもそのような処方薬を服用するにまで至らせたのは、親のせいだよねということだろうか?
事例を見てみると、地頭の良し悪しはあまり関係ないように思います。
共通するのは、受験勉強とかスポーツとかを無理やりやらされた、、ということ。
スポーツを例にあげて、もともとの能力がそもそも違うのに、親が自分の学歴コンプレックスを子どもを使って自己実現をしようとしている…とか
祖父の代からのわだかまりが受け継がれて最悪な事件へと発展…とか
大きな事件にまで発展する事例は、どうみても行き過ぎているとは思いますが、、
そうでないのであれば、葛藤はあったけれど、それなりの暮らしができていて、気持ちが自分でコントロール可能であるなら、あえて、親への自分の思いをわざわざ公にする必要ってあるのかな、、それを飛び越えて公開しているのは、教育虐待しそうな親への警笛でありメッセージなのかな。
同じ環境でも、心に安らぎを与えてくれる存在がいたかどうか、レジリエンスを備えていたかどうか、そこが分かれ道なのだとか…。
レジリエンスというのは、危機的状況にあるときに正しく対処できるかどうかで…
ここで認知のゆがみを生じる場合は発達障害を疑うということだろうか?
このあと、これ、苫米地さんの『IQ200になる習慣』をやはりAudibleで聞いてみている。
苫米地さんによれば、オリンピックで短距離走の金メダリストの記録は、たしかに一般ピープルには出せないけれど、じゃぁ、新幹線と徒歩ほど変わるか?というと、そこまでは変わらない、同じ人間の能力には限界があるため、そこまでの違いはない。
だとすれば、誰でもIQは上げれば、頭がよくなるらしい。(ホントか???)
ただし、教育虐待にあるように、罵倒、暴力などは、交感神経優位にしてしまうからIQ下がるらしいためリラーックス環境をいかに作るか、、ですね。
教育虐待してしまった親は、残念ながら子どもIQを下げる努力をしてしまっていて、もともと地頭よかった子にとっては、頭よかったはずなのにIQ下げられて、成長してから生きづらさを抱えてます…ということになり、
地頭ひくめだった子からすれば、ますますIQ下げることになり、社会不適応な状況にまで追い詰められてどうしてくれんだ!と訴えてることになるんかな…
運動する機会が減ったり、食生活の変化もあったりするため、生来のレジリエンスが機能しなくもなっているのではないだろうか…。
規則正しい生活、食事や睡眠、運動に気を使った場合は、なんだかんだレジリエンスで乗り越えてるように体感として感じるなぁ。
受験勉強自体がIQ下げる勉強だし、それが強制となったらなおのことであり、IQ下がるの嫌だと感じる子どもほど、抵抗するのかもな。
でもIQが上がれば、受験勉強なんて不要か最小限にすむって…
しかしなぁ、IQあげるために身体を動かしてほしいけれど、子どもが野山をかけまわるような遊びは、現代ではなかなかできないのですよね、、
よってスポーツクラブだのみ…
ピアノも習わせてるんですけどね…
教育虐待、対岸の火事をは思わずに、、自分事として考えていかねばと思うのでした…。