理由あってここ1年、保育園の娘のお迎えに行っていません。
ときどき、どうしても人手がない時や病院に私が付き添うときだけは私がお迎えに行っています。
1年経った今、娘の第1声が何かとママは、ではなく、パパは?になってしまいました。
先日、入院に当たり採血をしたのですが、この時もママ、ママと叫ぶ娘を助けにはいきませんでした。
今入院していても、少しでもパパの姿が見えなくなると、パパはと聞きます。
子どもって一番一緒に長く時間を過ごしている人に懐くのかな。
おかげで私は心の平穏を取り戻したのではあるけれど、なんだか寂しい、ママ業サボってるみたい...
だけど、そういうのは抽象度が低い考えなんだそうです。
悲しみに浸って感情に支配されているだけで自分にとっても誰にとっても迷惑なだけなんだって。
この感情のゴミは早めに捨てると良いらしいです。
以下、引用~
" では、「感情に振り回される」というゴミを捨てるコツをお教えしましょう。 それにはすべての感情を娯楽にすること。 これが感情のゴミとつきあう根本原則です。"
つまり、娯楽にして楽しむ
子育てというゴールに向かって進む過程で起きることは、楽しいことも、悲しいことも娯楽であるということなのです。
だからこういう場合には、パパと子が仲良くなってよかった、お母さんはお母さんなんだから、お母さんはでんと構えてればいいんだということのようです。
保育園のお迎えに協力してくれる家族がいて、なんて幸運なんだ、せっかくできた心や時間のスラッグを家族の為に使おう!
と、さっさと気持ちを切り替えるのが抽象度が高い人という人なのだといいます。
よし、抽象度高めていくとするか!
あ、今回はこの本を読んでみての気づきの記事です。
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これ読むと頭のモヤモヤがすっきりするのでおすすめです^^